ここ数日
柄にもなく平和について考えていました。
もちろん9.11という日付けがそうさせているのは間違いありません。
改めて、飛行機の突入・タワー崩壊を映像で目の当たりにすると
息ができなくなるような感覚に陥りました。
そして対テロ戦争としてアフガン・イラクでも数多くの命が失われました。
悲しい事に、それは今現在も続いています。
ただ憎しみだけは、しっかりと連鎖しました。
そんな現実を前に出るのはため息。
今までどれだけの反戦歌があったって、戦争は続いてるじゃないか、
世界中でこれだけチャリティーが溢れているのに、
飢餓で死ぬ子供がいなくならないように。
それは先進国、富める国の”同情”というアリバイ作りじゃないか?
なんて懐疑的に思ったりもしました。
いっそ再びノアの箱舟伝説の大洪水でも起こって、
憎しみの連鎖・人間の営み・国境・宗教etc・・・
いっさいがっさい洗い流して、リセットされるってこと位しか
残された解決策ってないんじゃないかって・・・。
そんな中
ふと何かに吸い寄せられるように
オノ・ヨーコさんの”
ジョン・レノンに捧げるピース・イベント”という
ページに行き当たりました。
なんか少しだけ霞みが晴れるような気持ちになりました、単純な私。
文章を読み終えて思いました。
”信じる”ということに対して呆れる程 深く信じている。ノーガード。
子供を守る親の背中が、なりふり構わぬ姿がとてつもなく美しいように。
これだって先進国のアリバイ作りじゃん、って言われればそうかもしれない。
だけどそんな人をも取り込む包容力があるような気がしました、
「まあまあ コッチ来なさいよ」みたいな。
毎日毎日、笑顔でいることなんて不可能なことですが
せめて心の中ではそうありたいな〜、と思うような。
世界中が平和になる日・・・なんて永遠に来ないかもしれないけど、
”いつかその日が来るかもしれない”って信じる事は大事だな〜、と。
そして平和を考えることって、夢について語ることに近い。
本当の意味での平和が訪れる事はありえない、という悟りを打ち消すために
人は平和について夢想するのかもしれない。
人類の歴史って
信じる>無力感にさいなまれる>それでもまた信じる・・・の繰り返しなんだろな。
そして僕は迷路の途中(笑)